大田は石造美術の宝庫といわれています。大分県で最も優れた石造美術として知られる国東半島の中でも、大田の品は質が良く、また板碑においては国東半島一といわれています。
中世の仏教文化において、国東半島は京都における天台宗の思想と宇佐八幡の思想が一致融合し、一種独特の仏教文化が生まれ、板碑・国東塔その他さまざまな塔を発展させました。それぞれの宗派がこぞって自分たちの力を示そうと一基でも多く建立しようとしたためです。
道端の草むらに頭を出している石の仏、国東塔、素朴な石の五輪の塔は、ちょっと考えると現在の生活には何の関係もなく、これを拝んでも無視しても何の影響もありません。しかし、文化財は先祖の心。そして今を生きる大田住民の心でもあります。
この石造美術は郷土の文化や歴史を今日の私たちと繋いでくれる大切な地域の誇りです。
(指定区分/種別/所在地/内容および参考)
財前家宝塔
(国指定重要文化財/建造物/小野/元応第三祀の銘)
紀氏の血を継ぐ財前家の供養塔を中心に約百基あまりの石塔群が散在しています。中でも総高2.97mの国東塔は財前家の祖先、財前美濃守の墓と伝えられ、逆修(生前供養)のために建てられたものです。
※「大田村誌」より引用
田原家五重塔
(国指定重要文化財/建造物/沓掛/延元四年の銘)
この塔の建立は延元4年(1339年)で、沓掛城主田原直平の供養塔と伝えられています。昭和44年(1967年)に解体修理をしましたが、塔の地中から出土品はありませんでした。
直平は足利尊氏西下の際、国守大友氏に従い軍功を樹て、のち現在の宝陀寺を府内万寿寺の悟庵禅師を聘して建立しています。
総高4.11m、石材は角閃安山岩を用いた堂々優美の塔です。
※「大田村誌」より引用
宝塔「石丸国東塔」
(国指定重要文化財/建造物/石丸/元徳二年の銘)
この塔は総高2.23m、石材は角閃安山岩、基礎は三重、塔身には次のような銘が刻まれています。
(一部判読できない部分もあります)
奉納妙法華経三部
元徳二年庚午十月二十八日(1330)
大願主、沙弥☐☐
※「大田村誌」より引用