白川稲荷の秋季大祭が開催されました


2019年9月18日、木漏れ日の光の中、白川稲荷の秋の大祭が行われました。氏子の皆さま、杵築商工会の皆さま、地元の関係者の方々が社の前に集い、商売繁昌、五穀豊穣、無病息災を祈念し素朴な素朴な神事が行われました。


白川稲荷とは?

宇佐神宮の奥の院御許山大元神社の御神体は三箇の巨石です。白川稲荷山頂の巨石群も古代信仰の祭祀跡で、十五畳敷きの巨石に神秘の白狐が穴居していたことから白川稲荷大明神を祭祀し、信仰崇敬されるに至ったといいます。

年代が久遠で暦数は不明ですが、記録では南方山頂に金輪城があり、天正の戦国時代(安土桃山時代)、時の城主・田辺伊予守鎭元が信仰心厚く、八面大明神(波多方郷産土の神、現鷂神社)とともに宗廟として崇敬しました。朝夕武運長久祈願し、また広く諸人にも敬祭なさしめたといいます。

時は移り、江戸時代、一心に祈願すれば感応納受あらしめ請願がことごとく成就し神徳を蒙り、願解きに赤飯を神前に献納する者が数知れず、、祐徳稲荷(佐賀県鹿島市)、狐頭稲荷(大分県竹田市)とともに白川稲荷を九州三大稲荷として繁昌しました。

安政7年(1860年)、時の庄屋・馬場寿助が祠を建て御神霊を祀り、祈願所を建築し老若男女の参詣で賑わいました。天保代に御神燈の寄進、明治初期に金輪城主の末裔常右衛門より大鳥居の寄進など、大いに栄え、無病即題、五穀豊穣、商売繁昌、病気平癒、入学祈願、交通安全の稲荷として神徳威験益々新し、今日も遠く中国・四国・南九州より多くの人が参詣しています。