大田の口説き


【阿波の鳴門の巡礼口説】

こゝにあわれな巡礼口説き 国は何処よと尋ねて聞けば

阿波の鳴門の徳島町よ 主人忠義な侍なるが

家の宝の刀の詮議 何の不運か無実の難儀

国を立ち退き夫婦の願い 神や仏に心願かけて

授けたまへやあの国次の 刀商売とぎ屋のみせは

心静めて目くばりなさる 行けば大阪玉造りにて

九尺二間の借家をいたし そこやかしこと尋ねんものと

三ッなる子を我家に置いて 最早七年婆さま育ち

子供ながらも発明者よ 年は十にて其の名もお鶴

おやのゆくえを尋ねんものと 育てられたる其婆さんに

永のいとまの旅立願う モーシ婆さんアレ見やしゃんせ

隣り近所のあの子の様に かみを結うたり抱かれてねたり

夫(それ)が私はうらやましいよ 今日は是非ないおいとまいたし

諸国西国巡礼姿 背においづる六字のみょうご

娘おつると書いたる文字が すみでにじみて姿がうすい

白の脚絆に四ッじのわらじ 左づえにて六部にはしより

えりにふせ鐘かけたるままに 大慈大悲の観音様に

逢いたさ見たさに両手を合せ 三十三番残らず拝む

西も東もわからぬ娘 年はようよう十にもなるが

さてもやさしい巡礼姿 哀れなるかなアノ婆様に

別れ行くのが扨口惜しい 扨もやさしい巡礼娘

哀れなるかやアノ婆さんに 別れ行くのが紀州をさして

れい所アノ那智山に 二番紀の国その紀三井寺

三に東国粉河の寺に 父と母とのめぐみも深き

四番和泉のまきおの寺よ 五番河内にてその名も高き

参り寄るくるその人々も 願いかけるは不智伊の寺よ

花のうてなに紫の雲 読んで終りし其の道すじを

行けば程なく大阪町よ 音に聞こえし玉造りにて

門に立たる巡礼娘 奉謝願うとそのいう声も

神の恵みか観音様の お引合せか前世のえんか

軒を並べし其の家続き 我も我もと皆いで見れば

さてもしおらし巡礼娘 母のお弓は我子と知らず

奉謝願えば側へとよりて 見ればあいらし巡礼娘

国はどこよと尋ねて聞けば 国は阿州の徳島町よ

そして父さんの母さんに 逢いたい見たいと遠のく道を

一人廻国するのでご座る きいてお弓は早気にかかる

一人旅はどうした訳よ そこでお鶴が申する事に

訳は知らぬが三ッの年に わしを婆さんに預て置いて

どこへ行ったか行方が知れず そしてお前の二親達の

お名は何とじゃ聞しておくれ 俺が父さん十郎兵ェというて

母はお弓という事なるを きいてびっくりお弓が心

胸にせき上げ涙を流し 側にすりよりお鶴の顔を

穴のあく程しみじみながめ 覚えのあるのか額のほぐろ

年も行かぬがはるばるこゝへ 尋ね来たのを其親達は

さぞや見たなら嬉しくあろう ままにならぬが浮世のならい

親に備わり子と産れても 名のることさえならぬが浮世

そなたのように尋ねた迚(とても) 顔も処も知れない親を

もしや尋ねてあわれぬ時は なんの詮なき事ではないか

扨も是から心を直し 帰らしゃんせよ婆さん方へ

父もおっつけもどるであろう いえばお鶴がその挨拶に

わしは恋しいあの母さんに たとえ何時迄尋ねてなりと

父と母とに逢いたさ故に どんな苦労もいといはせぬが

辛い事には一人の旅に どこの家にも泊めてはくれず

人の軒端や野山に寝ては 人に叱られ打たるるばかり

ほんに悲しや危なやこわや よその子供や姉さん達を

見るにつけても羨しいよ わしが父さんアノ母さんは

どこの何国にいやしゃんするか 早く尋ねてあいたいものよ

言えばお弓は涙にくれて 我を忘れてはや抱きあげる

はっとばかりに扨胸さわぎ 母のお弓は名乗りも出来ず

娘おつるは抱かれておいて モーシおばさん何故泣しゃんす

余り其様にお嘆きあれば わしはお前が母さんの様で

帰りともない行きともないよ どんな事でもいたしましょうが

おいて下さいお前の側へ 言えばお弓はなお胸せまり

アイと許りに思案をいたし 帰りともないやりともないと

思う心は山々なれど ここに置いてはお為にならぬ

ここの道理をよく聞きわけて 帰らしゃんせとお鶴にいえば

是非も泣く泣く帰ろとすれば 母のお弓は我針箱の

金子取出し我子に向い 紙に包んでハヤ差出せば

金は小判も小粒もござる 言えばお弓はこれは志

無理に持たせて髪なで上げる モーシおばさん暇じゃ程に

さらばこれから帰りましょうと 南無や大悲の観音様と

胸にかけたる鐘をば叩き いでて行くのを後見送って

言うに言われぬ只泣明かし しばしお弓が心の思案

いっそ親子と名乗ったならば さぞや嬉しく思うであろう

ここで別れて又何時の日に 逢えぬ親子の身の上なれど

連れて戻りて名乗をせんと 乱れたかみをひきあげて

後をしたいて行く其内に 親の十郎兵ェ巡礼連れて

急ぎ足にて我家へ戻り 金の工面に巡礼ころし

肌に手を入れ取出し見れば 金といっしょにある書付を

見れば刀のありかも知れる 女房お弓は早かけ戻り

死がいを抱き上げ途方に暮る しばし心も泣き入る母の

お弓とお鶴と名乗りもせずに 阿波の鳴門の深みへおとし

ホンにいとおし詮方なしに 言えば十郎兵ェ途方にくれて

さてもくやしやくやしやと これからお国へお国へ帰り

罪を逃れし恥辱をすゝぎ 元のお武家に取立てなさる