大田の口説き


【石童丸と苅萱道心】

過ぎし昔の その物語り 国は紀州に その名も高き

峰に紫雲のたなびきまして 高野山とて貴き山よ

哀れなるかや 石童丸は かゝる難所をタドタド歩み

顔も知らざる父上様が こゝのお山におわすと聞いて

尋ねさまよい行く谷道の あとや先なる右手は岩間

左手は烈しき山おろしにて 不動の坂をば見上げて通る

ふみも通わぬ丸木の渡し 心細道たよりの枝で

身をば託して行く先問えど 岩根松の木影うちかけて

そこでしばらくやすらい給う 加藤左衛門繁氏様は

髪をおろして名も葦萱と 変えて仏法修業のために

昼夜限らず この山坂を たどり行くのも後の世のため

親子奇縁か 石童丸は そばに思わず立ち寄り給ひ

申し上げます御出家様よ ここのお山に 今道心が

おわしますなら教えて給う 聞いて苅萱 御坊の仰せ

昨日剃ったも 今道心が 去年剃ったも 今道心よ

おん身尋ぬるその人さんの 俗の名を言ひ尋ねてよかろ

尋ねますのは父上様よ 我れ等二ツの其の年別れ

元は築紫の松浦とうよ 加藤左衛門繁氏様と

聞いて驚き我が子であるが 既に取り付き給わんものと

思う心をよう静め 御仏前に誓いを立てし

事はこゝぞとヨソヨソしくも 年端も行かいてはるばる此処へ

慕い来たりしその志し まこと父上聞き給うたら

さぞや嬉しく飛び立つ様に 思い給わん さてさりとては

たとい廻り逢うたればとて 名乗り合うこと勝手にならず

早く故郷へ立ち帰られよ 母御大事にかしずき給え

それが一つの孝行なりと 教え諭せば 石童丸は

国は大内 改めなやまされ 母御もろとも このふもとまで

父を尋ねて参りしなれど 道の疲れにまずらいまして

命ある内 父上様に 一目逢いたい見たいと嘆き

哀れ不びんと思われ給い 父の在所を御存じならば

教え給えと目に持つ涙 おさえかねたるその有様を

見るに 苅萱心のうちで 我が親ぞと名乗らんものと

いとも尊い師のいましめと 言うてはるばる尋ねて来たに

知らぬ顔なり見ぬ顔なれば 不びんまさりてどうなるものと

胸にせきくる血の涙をば たえかねてぞ思わずワッと

声を立てゝぞ嘆かせ給う なさけないかな世の境がいは

思い出づれは様々変る 我ぼんぞくの昔を捨てて

出家堅固の此の月日を 送る中にも我が妻や子に

最早や今年でいくつになった 念珠繰りてはその事ばかり

思うところを今日この道で めぐりめぐりて我が子に逢うは

よもや仏も御存知なかろ 親子一世と聞き伝ゆれば

たった一言物言いたいが 立てし誓いは破りもされず

こゝで逢われぬ事ならなおも 未来永劫逢うことならぬ

何としようかどうしようものか 胸にむせびて 心の内は

泣かぬ顔ほど尚又つらい それと悟りて石童丸は

左様お嘆きなされし上は 若しや貴僧が 父上様か

早う聞かせて下されませと 神にすがれば 繁氏様は

共にひかるゝ恩愛故に 既に親ぞと 心も乱れ

今に名乗りて聞かせんものと 思う心を後の山に

岩の影より声高らかに 「きおんにうむい」の誓いを忘れ

給うまいぞと師の教訓に 前後忘れし苅萱聖 夢の心に聞こえし故に

ふと気がつきふりかえり見て 迷いましたよ誤りました

「こんしさんかいひっぜごしう」 何れ吾が子と思いましょうか

まこと師匠に面目なしと 着たる衣の袖うち払い 己が尋ぬる

繁氏殿は こゝのお山におわせしなれど 諸国修業に出でさせ給い

今は行方も知れざる程に 急ぎ下山し 母上様の

病気が介抱召さるがよかろ 聞いて石童丸涙を流し

情けないぞやのう浅ましや 父はお山におわせしけれど

既に行方の知られざるよし 我はともあれ 母上様が

焦がれ死でもなさりょうならば 何としようかそのことばかり

わたしゃ悲しい 御出家様は 人を助ける役目と聞けば

哀れ不びんと思われまして 父に似よりし人でもあらば

探し求めてくださいましよと 口説き悲しむ心の内を

思いやられて さすがに僧は 胸さく思いをさらさらかくし

服沙包みの薬を出だし これは師匠が二万度の護摩を

たかれて調合なされしクスリ まこと貴き妙薬なれば

母に用いて看病あれよ 心もとなく気づかいつつも

そんな道筋難所であれば 疲れ足ではなかなか行けず

こちらまわれば花坂と言うて 平地同然 馬かごあれば

急ぎお山を下るがよいと 心づよくもはや やりければ

涙ながらに 石童丸は 薬片手に おしいただいて

是非もなくなく別れて帰る 道にかならず迷わぬように

彼方此方の事こまやかに 教えながらも苅萱殿は

心もとなき又気づかいさ 縁に引かるゝ ともづな故に

見えつかくれつ 別れてぞ行く