大田の口説き


【八百屋お七小姓の吉三】

本郷二丁目 八百屋と言うて

万青物 渡世をなさる

店も賑やか 繁昌な暮し 折も折から 正月なかば

本郷一丁目は残らず焼ける そこで八百屋の久兵衛宅も

普請成就をするその中に 檀那寺へとかり越しなさる

八百屋のお寺は その名も高き 所は駒込 吉祥寺様よ

寺領御朱印大きな寺よ 座敷間数も沢山あれば

これにしばらく仮り越しなさる 八百屋娘 お七と言うて

年は十八 花ならつぼみ 器量よいとて 十人くずれ

花にたとえて申そうならば 立てば芍薬 座れば牡丹

歩く姿は姫百合の花よ 寺の小姓の吉三と言うて

年は十八 薄前髪よ 器量よいこと 卵に目鼻

そこでお七は不図馴れ初めて 日頃恋しと思うておれど

人目多けりゃ話しも出来ず 女心の思いのたけを

人目忍んで話さんものと 思う折から幸なるか

寺の和尚は檀家へ行きゃる 八百屋夫婦は本郷へ行きゃる

あとに残るはお七と吉三 そこでお七は吉三に向い

こりゃ吉三よく聞かさんせ あとの月からお前を見染め

日々に恋しと 思うておれど 親のある身や 人目をかねて

言うに言われず 話も出来ず 今日が日までも言わずにいたが

わたしが心の おく見やさんせ かねて書いたるその玉章を

吉三見るより さしうつむいて さても嬉しいお前の心

さらば私もどうなりましょうとも 主の心に従いましょうと

この夜うち解け契りを結ぶ 八百屋夫婦は夢にも知らず

最早 普請も成就すれば 元の本郷へ引越なさる

そこでお七は吉三に向い もはや普請も成就をすれば

明日は本郷へ皆行く程に それにつけても私とお前

別れ別れに居るのはいやと 実に私は 悲しうござる

言えば吉三も涙を流し わしもお前に別れがつらい

共に涙の果しがつかぬ そこで吉三は気をとりなおし

これさお七よ よう聞かさんせ 後に逢われる身じゃあるまいし

またも逢われる時節もあろう 心直して本郷へ行きゃれ

わしもこれから訪ねて行くよ 言えばお七も名残を惜み

涙ながらに 両親ともに 元の本郷へ引越なさる

八百屋久兵衛日柄をえらび 店を開いて売初めなさる

その夜近所の若衆達を 客に招いて 酒盛なさる

客のお酌は娘のお七 愛嬌よければ皆さん達が

我も我もとお七を目指す わけて目指すは釜屋の武平

男よけれど 悪心もので あたり近所の札付きものよ

その夜お七と逢い染めてより どうかお七を女房にせんと

思う心を細かに書いて 文にしたゝめ お七に送る

お七方より返事もこない そこで武平はこじれにこじれ

さらばこれから八百屋へ忍び 八百屋お七に対面いたし

否であろうがあるまいとても 口説き落として女房にせんと

思う心も恋路の欲を 人の口には戸は立てられぬ

人のはなしや 世間のうわさ それを聞くより八百屋の夫婦

もはやお七も成人すれば 何時が何日まで一人でおけば

身分さまたげ邪魔あるものよ 早くお七に養子をもらい

そして二人は隠居をいたす それがよかろと相談いたし

話きまれば 娘のお七 何と言うても年若ならば

知恵も思案もただ泣くばかり そこでお七は一間に入りて

覚悟きわめて 書置いたす とても吉三と添われぬならば

自害いたして未来で添うと 思いつめたるカミソリ持ちて

既に自害をいたさんものと 思う折から 釜屋の武平

かねてお七を口説かんものと 忍ぶ折から様子を見たる

武平おどろき言葉をかける これさお七や何故死にゃんす

これにゃ訳ある子細があろう 言えばお七は顔ふりあげて

これさ武平さん恥ずかしながら 言うに言われぬ私の心

親も得心 親類達も 話し相談したその上で

私に養子を貰うというが 嫌と言ったら親への不孝

親にそむかず養子にすれば 二世を契りし男に済まぬ

親の好く人 私はイヤヨ 私の好く人 親達イヤヨ

彼方立つれば此方とやらで どうぞ見逃し死なせておくれ

聞いて武平は悪心起し とても私の手際にゃ行かぬ

さらばこれからだまして見んと これさお七やよう聞かさんせ

そなたぜんたい親への不幸 可愛男に逢われもすまい

とても其方死ぬ気で居れば ここに火をつけ我家を焼きな

我家焼ければ混乱いたす ムコの話も止にもなれば

可愛男に逢われる程に それがよかろと言われてお七

女心の浅はか故に 直ぐに火をつけ我家を焼けば

家は驚く 世間は騒ぐ 騒ぐまぎれに釜屋の武平

八百屋家財を残らず盗む 又も武平は悪心起し

あのが恋路のかなわぬ故に 悪い奴等は二人のものよ

今は憂き目に逢わせてやろうと 直ぐに役所へ訴人をいたす

そこでところの役人様よ 哀れなるかやお七を捕え

町の役所へ引き連れなさる 吟味するうち獄舎へ入れる

後に残りし小姓の吉三 それを聞くより涙を流す

さても哀れや 八百屋のお七 もとの起りは皆わし故に

今は獄舎の憂き目をみるか そなたばかりを殺しはせぬぞ

今に私も未来へ行くよ しかし憎いは釜屋の武平

わしも生まれは武士なれば せめて一太刀恨みをはらし

それを土産に冥途へ行こうと 用意支度で探しに行きゃる

本郷辺にて武平に出会い 恨む刀で一太刀斬れば

ウンとばかりに武平は倒れ 吉三手早く 止めを刺して

首をかっきり我家に帰り 委細残らず書置いたし

直ぐにそのまま自害をいたす そこでお七は残らず吟味

罪もまきれば獄屋を出でて 行くは何処よ 品川おもて

哀れなるかや 娘のお七 言うに言われぬ最後でござる